1.しつこい肉芽状の皮疹



この方photo注:クリックすると皮疹の画像のページが開きます)は、乳児期から18歳までステロイド外用を繰り返していた方で、多数の医院を転々としており、使用総量やランクはわかりません。

過去のステロイド外用歴とリバウンドの強さにはある程度相関がありそうで、医歯薬出版の本を著したときには、それを確認するため、徹底的に前医に問い合わせました。必ずしも協力的な医師ばかりではありませんでしたが。

この方の場合、「激症型」の離脱を取っているので、かなりの量の使用歴だったのだろうとだけは推測できます。


前半は、「激症型」の離脱の典型例で珍しくありません。もし、あなたが、前半のリバウンドの経過を、ステロイドの長期連用とはまったく関連のない、ただの「アトピー性皮膚炎」の悪化だ、と思われるなら、もう、この先は読まなくていいです。

ステロイドをまったく絶って3年がかりで離脱にたどり着けたこの方に、「いきなりステロイドを止めたからこうなったんだ。ゆっくりランクを下げていくべきだった。」とおっしゃるなら、どうぞそうなさってください。そういう初歩的な議論も私はもうしたくありません。多くの皮膚科を訪れたこの方が、何度そう言われ、そのように試みては、初診時のような独特の斑状の離脱疹が出現し、あわてて別の皮膚科に駆け込み、より強いステロイドを塗られて行ったか、私には想像に難くありません。

18年間ステロイドを外用し続けた人が、3年がかりで離脱した。数字的に何か不自然ですか?この方が「ゆっくりステロイドのランク・量を下げて離脱」したら何年かかったと思いますか?

私の話についてこられる方だけ、読んでください。ここで解説したいのは、背中の片側の肉芽状の皮疹についてです。

強い全身のリバウンドを起こして治まってきつつある時期に、なぜかある特定の部分だけが、このような様相を呈することがあります。背中も時々ありますが、胸にもできます。一番多いのは手指の一部です。

「ステロイド依存」の本が手元にある方は、142〜143pの女の子の右親指をご覧ください。最後の写真、98.3.31の写真でも他はまったく良くなっていても、ここだけはバンドエイドを付けているでしょう?これが同じものです。

下腿に出来た方もいました。ほかが良くなっているのに、その箇所だけしつこく残るので、ここだけはひょっとしたら別の皮膚病で、ステロイドを塗ったほうがいいのではないか?という相談を時々受けました。離脱のまさに終わりがけの証拠なのだから、こういう箇所にこそステロイドは塗らないほうがいいです。それでちゃんとよくなります。脱ステロイド後に見られる肉芽状に似たものは、乳頭部にも多いです。女性は、「こんなんで子供が生まれたときに授乳させられるだろうか?」と不安になるようですが、それで困った相談を受けてないので、大丈夫だと思います。たぶん。


カルテのコピーによれば、初診時、皮膚のスタンプ培養でブドウ球菌が検出されなかったので、消毒療法もしていません。初診時からステロイド外用中止しましたが、二回目に来院した98年10月にはやはりつらいので「ゆっくり」離脱したいとおっしゃたので、前医で処方されていたという、マイザークリーム10gと白色ワセリン10gを混ぜたものを一回だけ処方しました。しかし、結局断念し、98年11月以降は一切のステロイドを経つことに決意したようです。それが正解、というかそれ以外の選択肢はこの方の場合なかったと思います。しかし、私は、「それしか選択肢はないだろう」とは決して言いませんでした。これが私なりの「技」です。暗示はするが明示はしない、そうやって自分で悩ませ決意させたほうが、離脱の成功率や、私に対する変な「逆恨み」現象も少なかったので。

以降のカルテでの処方は、白色ワセリンと、亜鉛華単軟膏と抗ヒスタミン剤(ザジテン)だけです。入院はしませんでした。彼も望まなかったし、私も必要がないと思いました。もっとも、彼が望めば入院の手配はしたでしょう。しかし、入院しても、私は外来で行ったのと同じことしかしなかったでしょう。

私は「脱ステロイド」療法など、してはいません。していたとすれば、脱「ステロイド療法」をしていたのです。もっとはっきり言えば、ただ見守っていました。何もしなかったのではなく、何か異常事態があれば直ちに臨床医として対応できるよう体勢でもって構えていたのです。しかし、彼には、私の目には、何も異常事態は起こりませんでした。だから、結果的に何もしていません。否、私は、私に出来る全てのことを、全身全霊でもって、彼に対して行った。それは、ただ何もせずに見守ることだった。

「見守る」という言葉に私はこだわります。素人が、上っ面の優しさでもって「見守る」のではない。私が、見て守ったのだ。

そして、彼は、私に治してもらったのではなく、自力で回復したのだと感じたとしたら、それが私の「治療」の完成形だった。主治医依存。一種の共依存関係になることは、決してその後の患者のためにはならない。彼が精神的に私を必要とし続けたとしたら、彼は永遠に「治ら」ない。

彼が、私に治してもらったと思わなくても、私は医師という一人の職人として十分満足だった。





03/10/03