書き残したこと前国立名古屋病院皮膚科医師 深谷元継

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一年ほど前まで、私は総合病院で、アトピー性皮膚炎を中心としたステロイド依存症に陥った皮膚疾患の患者の、離脱を助ける仕事をしてきました。

未開拓の分野で、数多くの患者が全国から集まってきました。症例が蓄積され、十分な説得力を持つと考えられた時点で、まずは患者向けに「ステロイド依存―ステロイドをやめたいアトピー性皮膚炎患者のために:つげ書房新社」を1999年に出版し、次いで翌2000年に皮膚科を中心とした、医師向けに「アトピー性皮膚炎とステロイド離脱:医歯薬出版」を著しました。

前者は、ステロイド依存に陥り、自分がどんな状況にあるのか、判らなくなってしまった患者の道しるべのために、後者は、この、皮膚科の抱える不良債権のような問題を、皮膚科医全体で手分けして解決していこうじゃないかという呼びかけのためでした。

前者は、それを手にした一部の患者たちの役にたったようです。それまでは「ステロイド依存」という言葉すらなかったですから。

後者はあまり奏効しませんでした。

これは、非常に私を落胆させました。重症患者のステロイドからの離脱になんとかこぎつけると、それを伝え聞いた新しい患者がまた遠方からやってきて、助けを求める。このしんどい作業が、延々と繰り返される。

「脱ステロイド療法」叩きもこたえました。「一部の皮膚科医が『脱ステロイド療法』なる非科学的な療法を提唱するがゆえにステロイドを悪者扱いにするアトピービジネスがはこびる」という論法です。

「脱ステロイド療法」は私が提起した用語ではありませんが、非常に大きな基本的な誤解があります。あれは「脱ステロイド」という療法ではなくて、脱「ステロイド療法」です。Withdrawal from Corticosteroids Therapyです。この用語を初めて医学雑誌で用いた著者にも確認をとりました。

米国でこの問題が提起されたときに用いられた用語はSteroid Addictionでした(注1)。私は一冊目の著者の表題をこの直訳の「ステロイド依存」としました。少しでも誤解を解きたいと願ったからです。

しかし、一度、掛け違えられたボタンを正しく戻すのは難しいことのようです。



患者にとって唯一すがることの出来る医者であるということは、素晴らしい、うらやましいとおっしゃる方もいるでしょう。しかし、それは、患者がどのような状況に陥っても臨床医として的確な判断のもと、救命し、軽快治癒方向に持っていける、という大前提があってのことです。ある一定数までの患者であれば、私には十分にそれをこなす能力があります。また、それを実践してきました。

しかし、私個人のcapacityを超えて、患者が救いを求め、共に手分けして治療に当たる仲間も近くに見当たらないとき、多くの患者に頼りにされることは、私自身の心身を蝕んだようです。私は病に倒れました。

病気休暇を経て、復職してみましたが、限界を感じました。

体調のすぐれぬまま、無理を続けて、何かミスを犯すくらいなら、自分自身振り返って、臨床医として誇りを持ったまま引退したほうがいい。

そう思って退職しました。



それから一年余りが経ちました。元来の手先の器用さを生かして、完全予約制の美容外科クリニックをほそぼそと経営しています。この仕事なら、時折体調を崩して休診になっても、お客様に迷惑はかかりませんし、少人数を丁寧に診ていても、なんとか食べていけます。

時に、昔の患者が友人として訪ねてきます。ちょっとだけ懐かしく、しかし、あの大変だった日々がflash backして、欝になったりもします。



退職を決めてからの一ヶ月ほどの間に訪れた患者には、それまで撮り貯めていた彼ら彼女らの臨床写真を、手渡す作業を繰り返していました。私にとっては、写真がカルテのようなものだったので、もし、いつか、また彼ら彼女らの相談・治療を再開できる日が来たら、そのときには役に立つだろう。また、彼ら彼女らがほかの医師を訪れるときに、何よりも効果的な臨床情報となるにちがいない。そう考えたからです。

この一ヶ月ほどの間に訪れた患者たちの中に、新しい有用な臨床情報を秘めていると私が考えた方々がいました。そのなかで、将来、ほかの医師や患者への臨床情報としての目的において、写真の公開を書面で同意していただけた数名の方については、私が写真を預かることにしました。

私がこの数年間、撮り貯めた数万枚の患者たちの臨床写真のうち、今、私の手元にあるのは、その数名の方たちのものだけです。

そして一年が経ち、少しずつ、いろいろなことを忘れかけてきている自分に、気付いています。



退職間際の私は、心身ともに最悪でしたが、脱ステロイドを管理する臨床医としての能力は、研ぎ澄まされていました。最後に扱った入院患者は、離脱後数年を経て悪化再燃し、感染症からDICをきたした方でした。もちろん早期にDICに気付き、ステロイド無しで救命し、退院させました。「ただの発熱ではない、DICを起こしかけているな」ということが、患者を診てて、話し方の不自然さで解るんです(注2)。案の定、検査してみるとFDP値が上昇しかけていて、翌日には昏睡状態になりました。逆にどんなに皮疹がひどく見える人でも、「これは入院なしでも大丈夫だろう」とも解りました。

医学は科学ですが、医療、とくに医師は、職人だと思います。「芸」といってもいいです。

脱ステロイドに関して、あの頃の自分の芸は、極致でした。

二冊目の、医師向けの本が、あまり反響を呼ばなかったのは、そのためもあったのかもしれません。一生懸命私なりに「科学的」な医学の言葉で書いたつもりですが、職人芸を書物で著すことはしょせん無理があったのかもしれません。



前置きが長くなりました。

上述のように、言葉や写真による情報伝達能力に失望しかけている私ではありますが、一握りの方にでも伝わることを願って、「書き残したこと」をここに記そうと思います。


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03/10/02

(注1)Kligman AM, Frosch PJ Steroid addiction.
Int J Dermatol 1979 Jan-Feb; 18(1) :23-31.

(注2)Septic encephalopathyといって敗血症の初期に意識障害が現れることがあります。


「アトピー性皮膚炎とステロイド離脱」

「ステロイド依存―ステロイドをやめたいアトピー性皮膚炎患者のために」